1972年07月  妻沼にて
1972年の7月合宿に、偶然にも新しく製作された太南工業製の国産単座機、相模式S−3の試乗発表会が
妻沼でありました。当校は土手側で合宿を行い、試乗会は川側でした。他に乗れる人がいないため、私がの
りました。私にとって初めての単座機でとても感激した事を覚えています。とても素直で易しい機体で、これな
ら学生でも乗れるな、などと思い巡らしていました。この時の試乗会総監督は原田教官でした。
因みにこの機体は3機ほど作られましたが、その内の1機が関宿のゴルフ場上空で飛行中に主桁が折れて
墜落しました。慶応の学生だったと思います。主桁が折れた事故は聞いた事が無くびっくりしました。その後、
製作、飛行どちらも中止されました。国産機製造に関しては、それ以後厳しい状況になりました。
左から青山の学生?、藤原君?、大塚君、私、説明者・・(小野)

この機体のことはうっすらと聞いたことがあります。日本の航空業界にとってエポックメイキングな機体だった
んですね。知りませんでした。座間にあった太南工業には23Cの修理や、TN何とかという単座機の関係で
何度も行きました。それだけにこの機体の失敗はほんとうに残念ですね。(事務局福島)

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