「ねーハブラシ持った?」

                                    −ハナと過ごした二日間−

                                                           北原洋子
    プロローグ 
    「私、ハブラシ持ってかないわよ」
    ハナが私にそう言った。

    1996年12月31日。
    ここは、オーストラリア、タコムオール。
    スポルタビア・ソアリング・センターに着いて三日目の朝。私はハナの操縦す
    る、ニンバス4DM(複座のモーターグライダー)の後席に乗る準備をしてい
    た。
 
  ニンバス4DM準備中
     準備とはいっても、自分の荷物を積むぐらいしかないのだが。
     隣ではハナの父、ラダさんが機体に水を入れ、宣言板やカメラのセットなど、
    娘のフライトの準備に余念がない。
    ハナ・ジェドバ 
     前席でニンバス4DMを操縦するハナ・ジェドバは、チェコのグライダーパ
    イロットで、元ヨーロッパ・レディースチャンピョン、世界選手権に出たこと
    もある。
     チェコが、チェコスロバキアだったころ頃、グライダーのインストラクター
    をしていた。
     父親のラダさんもナショナルチームのコーチだった。

     世界記録(滑空機)を出す為に、毎年親子二人で11月から3月までタコム
    オールに滞在している。
     記録が出れば、スポンサーがお金を出してくれるのだという。しかし、先日
    チェコで大洪水があり、スポンサーだった保険会社は本業に忙しく、お金を出
    してくれなくなったらしい。スポンサー探しはどこでもたいへんだ。

     だから記録が出そうもない日は、もちろん飛ばない。ラダさんだって飛ぶの
    は大好きなのに、めったには飛ばず、すべては娘の為に働いている。
     ハナは、そのどこにエネルギーがあるのかと思う程、細く小柄だが、毎日何
    百キロも飛び、アウトランディングして時には機体の中にさえ泊まる。

    ASH-25
     しかし、そんなハナの後ろに乗ったのは、これが最初ではなかった。

     話は4年前にさかのぼる。

     ハナに始めて会ったのは、1992年の暮れから93年のお正月にかけて、
    タコムオールに滞在していたときの事。

    その日の朝 
     1月2日。その朝、ソアリングセンターの宿泊施設に泊まって私は、いつも
    のように、起きると真っ先に眠い目を擦りながらカーテンを開け、吹き流しを
    見て風向きと天気をチェックした。

     おととい5時間飛んで昨日50Km飛んだ私には、少し肩の荷が降りた朝だ
    った。
     朝食後、元ワールドチャンピョン、インゴ・レナーのブリーフィングが始ま
    る。

     今日の気象、及び高度における風向、風速の予測データ
      GND〜2,000ft  VRB(バリアブル)/15kt
      5,000ft〜10,000ft          280゚/20kt
      最高予想気温  38℃
     高気圧の後面に位置し、良いコンデションになると思われる。ただし、午後
     からサンダーストームの予報あり。

     インゴが「いい日だ」と言うと、みんながそわそわしてきて、行けそうな気
    がするから不思議だ。
     ハンガーからグライダーを出して洗い、バッテリーと自記高をイクイップメ
    ントルームに取りに向かっていた。
     パラシュートはないのかというと、実は飛ぼうとした初日に、地面で知らな
    いうちに落下傘降下をしていたのだ。
     ふと気がつくとパラシュートの引きがねを手にしていた私は、後ろでドタッ
    と音がして、〈あらっ〉と振り返ると、ウイングボーイが目をまんまるくして、
    地面に落ちたパラシュートのかたまりを見つめていた。
     クリスマスの為、リパックしてくれる所もお休み。それで、ヨーコは当分ノ
    ーパラシュートだと言われていたところだった。(リパック代は高かった)

     今日あたり、リパックされて、戻ってないかなーと思いながら、歩いている
    とラダさんに、話かけられた。「今日は飛ぶのかい」と言っている様にも思え
    たが、よくわからない。運よくそこに装備を取りに向かう主人が通りかかった。
    ラダさんの話を聞いて私に言った。

    「ASH−25の後ろに乗らないかって言っているよ?」
    「え、乗る、乗る」
     25に乗れる嬉しさだけでいっぱいだった。〔ASH−25は、翼の長さ
    25m。滑空比58〕(復座でこんなグライダーがあったんだ)25メートル
    プールが横に飛ぶ。25mなんて泳ぐのもたいへんだ。初めて見るグライダー
    に興奮していた。
     聞けば操縦はもちろん、ナビゲーションもしなくていいという。自分で操縦
    するのにちょっと疲れていた私には、願ってもないこと。そんなわけで自分の
    機体はキャンセルし、後席に乗せてもらうことにした。

     でも、私はまだ初心者で(今でも初心者に近いが)クロスカントリーなんて
    知らなかった。
     ところで、待って。彼女はヨーロッパレディスチャンピオン、目指すは世界
    記録?おそるおそる主人に尋ねた。
    「ねー、ねーどこまでいくんだって」
    「730Kmぐらいだって」
    「それって、どれくらいかかるの」
    「うーん、普通で7・8時間ぐらいかなー」
     (は、8時間もかかるって!)大丈夫だろうか。この不安はどこから来るか
    というと、こんな経験をした後だったから。

     カンタスの機内で風邪を引いた私は、診療所に入院した。 夜ぐっすり眠って
    いると、サンタの帽子をかぶった看護婦さんに起こされた。
    「クールシャワーを浴びてらっしゃい」
    「えっ」
    オーストラリアではこうやって熱を下げるらしい。サンタさんに起こされたの
    は嬉しかったが、水のシャワーは(うーん、寒い)
     しかしなにより嬉しかったのは、三時頃になるとカートが回ってきて
    「Tea or Coffee?」と聞いてくれる。銀の食器の入った紅茶と、ちゃんとケー
    キかお菓子が付いてくるのである。三度の食事の量も種類も選べた。

     そんなことがあったので、ラダさんに声を掛けられた時は、「大丈夫?」っ
    てみんなが心配してくれた。退院して一週間だった。でもASH−25に乗っ
    てみたかった。

     ハンガーサイドで、ハナと一緒に機体に荷物を積み始めた。どのくらい乗せ
    ていいんだろう?焦りながら、いつも積んでいる荷物の中から選んだ。

     麦茶はいる。おやつはもちろんいる。小銭入れは持って。イエローカード
    (英語が話せないので、不時着した時に農家のおじさんに見せて、タコムオー
    ルに電話してもらい、迎えを呼ぶためのカード)はいらないな。
     この機体は翼が長いので、畑には降りられないと聞いた事があった。
    (それじゃあ、不時着の時お世話になった方への、お礼の匂い袋もいらないか)
     荷物をいつもの半分ぐらいに減らした。

     一つ心配な事があった。
    「私、英語ができないの」と言うと
    「私も」とハナ。
    ハナの言葉は私をちょっと安心させた。ただ時間を記録して、プライベートの
    写真を取ってくれればいいって。

     ラダさんの作った宣言板に、私もサインした。旋回点はボガンゲートで、ア
    ウトアンドリターンの735Km。ボカンゲートは北に約370Km。
    ナロマインから南に約100Kmのパークスの近くにある。
    (ふーん。世界記録を狙う時の宣言板はこうするのか)
  飛行経路図を見る

    いざ出発
     11時頃離陸というので、むっとするほど暑いランウェイのグライダーの翼
    の下で、お昼のおにぎりをむりやり口の中に押し込んだ。

     そうこうしているうちに、ハナの呼ぶ声がする。行くらしい。パラシュート
    を着けて乗り込りこんだ。座ってメモ板を膝にくくり付け、地図とカメラ二台
    を持って。何が始まるのかと、近くにいた人達がだんだん寄ってきた。

     みんなに見送られ、にっこり「行って来ます」ウイングドーリーが外されテ
    イクオフ。
 
     計器板の時計が11時29分10秒を差していた。地面でうなだれていたそ
    の長い翼は、曳航機が加速していくと共に、風をはらんでみごとに立ち上がっ
    た。〈まかせて〉とばかりに。

     こうしてハナと私の珍道中は始まった。ASH−25は、どっしりとした乗
    り心地、ゆったりした気分がした。揺れも少ない。インゴが「この機体はグラ
    イグーのロールスロイスだよ」と言っていたのが、わかる気がした。
     もっとも、ロールスロイスには乗ったことはないのだが。私が乗ったことの
    ある機体とは、明らかに違っていた。
     こんな気分の中で、まさか今日ここに帰ってこられないなんて、想像すらし
    なかった。

    離陸
     離陸したものの、上空はまだあまりいい条件ではない。
     ふと横を見ると、ラダさんとセンターの共同オーナーで、インストラクター
    のドンの乗ったスーパーブラニクが、同高度で回り始めた。ハナがしきりに、
    ブラニクの写真を撮って欲しいという。十数枚撮った。それからあの家も入れ
    てと。
     高度は取れないし写真ばかり撮っているし、このフライトは写真撮影だけで
    降りるのかと思わざるを得なかった。
     この家はドンの家だったらしい。このあとスーパーブラニックは、チームフ
    ライトをするかのようにしばらく一緒に飛んでいた。
     後で聞いた話だが、ブラニクはこののち150km北のナランドラに降りたという。

    スタート
     11時49分40秒 やっと高度も取れてスタートする。
     まず北東の大きな目印になる湖、Lake Urana(レイクユラナ)を目指す。

     それにしても、ハナの操縦はすごい。これだというような良いサーマルにぶ
    つかると、速度を140Kmぐらいから90Kmに落として、フラップをガチ
    ャガチャと変えながら、45度ぐらいのバンクでキリキリ回る。(いや、もっ
    ときつかったかもしれない)
     すごいGでその度に、首が亀さんのように「うぐぐっ」と縮んで短くなると
    いった具合である。
      これが7時間いやそれ以上続いたら、具合が悪くなるに違いない。センタ
    リング中は思わず目をつぶった。もったいないと言われようと。この事で一層
    眠気が襲い、しばらくしてそのまま2度程寝た。
      Urana(ユラナ)、13時1分。タコムオールから 80Km。なかなか前
    へ進まない。
     なにしろ激しく動く操縦捍や、こきざみに前後するフラップレバーの操作の
    じゃまにならないようと、始めは気を使った。がそのうちに慣れてしまった。
     忙しいハナと違って、こっちはただ自分の地図と景色を見比べているしかな
    い。(この際だからナビゲーションを覚えよう)

     ハナは時々「どう?」と聞いてくれたし、途中行く先々のランウェイがある
    場所を教えてくれた。(せっかくのチャンスだから、目の中に焼き付けておこ
    う)本当は自分のカメラも持ってきたので、写真を撮っておきたかったが、シ
    ャッターの音で、ハナの気が散るといけないと思ってやめた。

     2〜3時間もすると、お尻が痛くてたまらない。位置を変えてみてもだめ。
    なんとなく、靴を脱ぐ事を思い付いた。
     「ガタッ」脱ぐ時に靴がラダーに当たり、音がしたのでハナが「どうしたの
    ?」と心配そうに聞く。「大丈夫」と答えてそれからは、脱がないでじっとし
    ているしかなかった。
     しばらくして気のせいかお尻も楽になった。

     どう説明していいかわからないが、ハナは大きなサーマルをすぐ見つけるし、
    中心に寄せるのもうまい。特にプラスの見極めが早く、これがまたすばらしい。
     この頃はプラス4くらいのサーマルしか拾わなかった。サーマルに入って四
    分の一も回らないうちに、これはいい(入ると全周プラス4)、これはだめと
    判断しで前に進む。ついひとまわり、いやふたまわりも回ってしまう私とは違
    って。
 
     二人の乗ったグライダーは、北に約150Km、NARRANDERA(ナランドラ)
    を13時45分に通過。高度1650m。眼下に大きな エアポートが見える。

     250Km地点の、WEST WYALONG(ウエストワイヤロング)、15時ちょう
    ど。高度2100m。 

     まだ先は長いなーとやや飽きてきた頃、ハナがごそごそとポーチから、ガム
    を出して一枚くれた。二人でガムを噛み始める。
     これが暇つぶしにはなかなかよくて、しばらく噛んで味のなくなったガムを、
    メモのボードに張り付けて取っておいて、しばらくしてまた噛んだ。
     おかげでだいぶ目が覚めてきた・・。(おやつでも食べようかな)
     ハナはほとんど何も食べず、オレンジジュースをストローで吸っているだけ
    だった。

     また睡魔に襲われ、少しうとうととしていると、ハナが「ほらっ」と右を指
    差した。他の滑空場のグライダーが、同じサーマルで同高度で回っている。
     ハナがキリキリまわるから、顔がはっきりなんてもんじゃなく、鼻の穴まで
    しっかり見えそうな近さだ。
    「すごいなー」目が覚めた。向こうもきっとこっちの女性二人にびっくりして
    いることだろう。手を振りたくなる。
     敵機はブレイクしてしまった。きっと怖かったのだろうと思う。

     4時間が過ぎた。このまま旋回点に向かうとすると、帰りの時間がきつい。
    (引き返さないのかな)
     ハナはしきりに、地図を見ながらラダさんと無線で話始めた。この無線はか
    なり感度がいい。こんなに離れているのによく聞こえる。ハナは無線でナビゲ
    ーションを確認しているようだ。
     この辺は大きな目標がなくてわかりにくい。でも、あっているらしい。

     しばらくすると川が見えてきた。LACHLAN RIVER。
    多分、もうすぐ旋回点なのに、プラスがない。飛んでいるのに、川が渡れない。
    やっとの思いで、両脇にユーカリの茂った、幅の広い曲がりくねった川を渡る。

    やったー、旋回点
     眼下に、周りに家がほとんど見あたらない駅と、線路が見えてきた。
     たぶんあの町かなと思っていると、「そこが旋回点よ」とハナが指差す。
    (うれしい。私のナビゲーションも、あながち間違いではなかった)
     えーと、旋回点のサイロはどれかなーと思うまもなく、バンクがついて
    「カシャ」。
     真上だと思った瞬間、二台のカメラのシャッター音がして気がつくと次の瞬
    間は、機体はもう帰る方向を向いていた。(えー。もういいの!)
     あまりの素早い写真の撮り方に驚いた。

     旋回点のBogan Gate(ボガンゲート)、16時24分10秒クリヤー。
    (やった。これで半分だ)PARKES(パークス)の町がすぐそこに見えた。
     よしさあ今度は帰るのみだが、近くには積雲が見当たらない。雲をつかむ話
    とよく言われるが、つかむ雲がない。
     雲を試しながら「あーんもう」とか、「ちぇっ」とか言いながらハナが苦し
    んでいる。少し、また少しと、しゃくとり虫のように前進していった。 

     しかし遂に、私達の前には大きな湖の影響だろうか、直径数十キロもあるか
    と思われる、雲一つない丸い青い空が広がっていた。巨大なブルーホールとで
    も言おうか。
     ハナが写真を撮ってほしいと言うので、パノラマ式に180度を4枚ぐらい
    に分けて撮った。
     ブルーホールの端の、こまぎれのような雲をたどりながら、少し西に迂回し
    て進む。オーディオバリオも‘ピー’という情けない音に変っていた。
     仙人(霞を食べるという)になったように、霞雲をたどって行く。
     その「ワタアメのかす」のような‘もわっ’とした雲のプラスは、コンマ2
    から3というところ。(25は浮けるのだろうか。これからどうするのだろう)
     右手遠くには、湖面が二つキラキラと光っていた。無情の西日を受けて。

     やっとの思いでブルーホールを過ぎると、今度は幾つもの真っ黒なサンダー
    ストームの厚い雲が、立ちはだかった。
     普段のオーストラリアの夕立は、あっちに一つこっちに一つと孤独で、その
    雲を避けて飛べば飛び続けることもできた。
     が、今日は夕立がいっぱいくっついてしまっていた。

     行く先々でアクシデントと戦っていく、冒険映画(グーニーズ)のようだ。
     目は、ぱっちりと開いた。もう応援するしかない。『行け行けハナ、ゴーゴ
    ーハナ』

      あと200Km。
     もう少しだが、地面はほとんど日が当たっていない。試しに、とばかり黒い
    雲に近づいて見るが、やはり上がらない。
     帰り道はずっと1500m前後で苦しかったが、もう1100。
     そのころからハナは、また盛んに無線を使い始めた。今から思うとラダさん
    に、どの辺に降りるかを言っていたのだと思う。
 
    もしかして、降りるの?
     そして、ASH−25の翼は水を放出していた。(きれいだなあ)しばらく
    見とれ、写真を撮ろうかと悩んでいた。が、ほんとうはそんな場合ではなかっ
    た。

     もう6時過ぎ、高度は1000mを切っている。ハナがなにやら話かけてき
    た。降りるつもりらしい。あー800、700。最後の頼みの綱、森の上に行
    ってみる。ピクリともしない。ダメだ。

    「降りるわよー」
     (やっぱり。こんな翼の長いグライダーで、どこに。まあハナと一緒だから
    大丈夫か)
     ハナはサーマルをあきらめ、降りる場所を決めたらしく急に切り返し、一番
    近い農家の上空に近づいた。家の人はいるんだろうか?洗濯物は、車は。(人が
    住んでいない場合や、住んでいても留守の場合がある)
     600、500。その家の上で、何度も何度も旋回した。回っている間、降
    りる畑を穴があく程見つめていた。(えーと、えーと。風向きは、電線は、羊
    や牛は?作物があったら、いやだな)

     突然、ハナは「あっちにするわ」といきなり場所を変えてなぜか違う畑を指
    差した。家から一番近い畑だった。いざ着陸と、私はハーネスを〈きゅっ〉と
    締め直した。
     西からのアプローチ。畑の端にある大きな並木が気になったがなんのことは
    なく越え、ゆっくり引き起こして、がたんがたんと大きく揺れ、機体は止った。

    アウトランディング
     18時37分30秒。Binyaに着陸。(ここまでの飛行時間  7時間08分 
    あと190Km地点)
 
  降りた直後
     その瞬間二人は思わず、にっこりとした。よくスムーズに降りたと思う程、
    深い畝のあるでこぼこの畑だった。
     強い東風が吹いている。翼が浮いてしまうので翼端にパラシュートを置いて、
    カメラだけ持って家の方に歩いて行った。疲れているせいか、すぐそこにある
    家が遠く感じた。ハナもカメラを持っている。

     どこが入口だろう?門に近づくと犬が何匹も吠え立てた。
    「イエローカード持ってる?」
    「持っていないわ。でも強い味方があったんだ」
    とハナは辞書を取り出していた。

     こんな二人で大丈夫だろうか。門の所で叫んだ。
    「ハロー、ハロー」
     すると日に焼けて元気そうなおじいさんが出て来てくれた。
 
  アウトランディングおじいさんの家
     私はふと、おじいさん一人のこの古い農家を見て、今晩はここに泊まるんじ
    ゃないよねーと思った。

     私達は機体を出発できる場所まで移動する為に、引っ張る物を借りたかった。
     ブロークンな英語で、ロープロープとか言いながら、どうにかロープを出し
    てもらって、三人で車に乗って畑に戻った。道もないのに、車は固い畑を突っ
    切って走る。とりあえず機体を離陸できる場所まで移動したかった。

     ロープをグライダーに結び、車で引こうとしたが、すごいでこぼこなのと2
    5が重いのでびくともせず、ロープがぶちぶち切れてしまう。(この畑、柔ら
    かくてだめじゃない。曳航機も降りられないのでは)

     おじいさんが「あっちの畑の方がいいんじゃないか」と言うので車に乗せて
    もらって見に行った。
     確かにこっちの方が平らで堅い。真ん中に何本かじゃまな木がある。
    「斜めに上がれば大丈夫じゃない」
    「じゃあここにしよう」

     戻って今度は堅い畑の方に、機体の向きを変えた。翼端は私が持ったが、ス
    パンが長く途中で翼が車にぶつかりそうになる。
     ASH−25のテールは、ハナとおじいさんが持ったが、ふたりで持っても
    かなり重い。
     空の上では自由に大空を滑っていた25は、〈魔法が解けた、畑のかぼちゃ〉
    になっていた。

     もう一度車で引いてみるが、やはりロープが弱くて切れてしまってだめだ。
     しかたなくまた車で、一度おじいさんの家まで戻った。汗とほこりで、ハナ
    が手を洗わせてもらおうと言う。洗面所を教えてもらった。

     電話帳を見せながら、電話してあげようかと言うおじいさんに、曳航機はも
    う手配済みで大丈夫と言いたかったが、口惜しいことにうまく説明できない。
    ノーサンキューしか言えないなんて。

     それからおじいさんは、もっと強い物を探してくれている。どこからか、ワ
    イヤーを持ってきた。
     ハナはこれもだめだろうって顔してる。車に繋いで引っ張ってみたが、錆び
    ていたせいか、やはりぶちぶちと途中で切れてしまう。柔らかい畑では車のタ
    イヤも空回りしている。

     そうこうしている内に、おじいさんは大きなトラクターを出してきた。
 
  トラクターが来てくれる
 
  おじいさんとトラクター
          さすが農家のおじいさん。これなら力がありそうだ。だが、やはりワイヤー
        が切れた。

     ハナがさっきから、辞書を開きながら、鎖につながれた犬を指差して言う。
    「あれがいいいんじゃない」
     おじいさんに、辞書の“チェーン”を指差すと、犬のではなくトラクターに
    付いていたばかでかいチェーンを外してくれた。
     何だ、こんな所にいい物があった。今度はうまくいきそうだ。

     だんだん薄暗くなってきた。そろそろ曳航機が迎えに来る頃だ。
    「先に行って曳航機が来たら(ここに着陸して)という合図に座席のムートン
    を振っていて」と言われ、急いで堅い平らな方に駆けて行った。
     この畑は、歩くごとに茨が足に絡み付いて来た。
     ゆっくりゆっくりと、おじいさんがトラクターで引き、ハナが翼端を持つ
    25が近づいて来る。
 
  トラクターに引かれて
     もう少しという時、無線がなにやら言い始めた。
     曳航機からだった。私達の居場所がわからないらしい。ハナの地図は、この
    地名のあたりが折り目になっていて、ぼろぼろ。スペルが読めずBinyaがうまく
    伝わらなかったらしい。
     急いでハナは私の持っていた地図を見た。今度は大丈夫。

    エディが迎えに
     しばらくして、ちょうど25を移動し終わった頃、薄暗くなっていたのでラ
    イトを付けた曳航機が上空から近づいて来た。
 
  あっ迎えに来た曳航機だ
     ほっとした。
     合図に、翼とムートンを振った。飛行機はオーバーヘッドアプローチで、着
    陸できるかを確かめながら、一度私達の上を低く飛んでから着陸した。
 
  曳航機着陸
     曳航機着陸。夜8時を過ぎていた。一人で迎えに来てくれたのは、当時は仕
    事が休みの日だけパートでインストラクターをしているエディだった。

     私は、トラクターに乗ったままのおじいさんに、まずお礼を言いたかった。
     感謝の気持ちでいっぱいだった。何かを渡したかったがいらないといわれ握
    手をして、何度も何度も有難うと言っていたらハナも来た。
     お礼を言って、それじゃあと、ふたりは25に乗り込んだ。

    畑から?また、離陸
     20時27分20秒 離陸。ここの畑に降りてから、実に2時間がたっていた。
     エディが、おじいさんに翼端を持たせて、いえ、持って頂いて。思いきり手
    を振ってさよならをした。
 
  また離陸。すっかり夜
     ありがとう、お世話になりました。トラクターやチェーンやワイヤーも車も、
    そのままでごめんなさい。おじいさんはきっと(あのへんな二人は何者だった
    んだろう)と思っているに違いない。
     真夏とはいえ、もう薄暗い。でも私はスポルタビアに帰れると思っていた。

     左手に、ナランドラの大きな町の灯が通り過ぎた。(ああ、なんてきれいな
    んだろう)始めて見るグライダーからの夜景に見とれていた。

    私はどうなるの?
     町を過ぎて、川を横切ろうとしていたとき、ハナが無線でエディと話したか
    と思うと、急に曳航機がUターンし始めた。
     一旦遠ざかった街の灯がまたどんどん近づいて来る。
     街灯がまっすぐ光の列になって見えた。

     どこかで見た景色に似ていた。
     そう、夜のメルボルン国際空港に降りた時の、窓からの夜景に。(どうして
    Uターンしたんだろう)そう思っているうちに、またナランドラの町並みを背
    にしていた。

     25が離脱した。(降りるんだぁ)
     あたりはすでに真っ暗になっていた。
     下を見ると車のライトが、ランウェイエンドから細い滑走路を照らしていた。
    格納庫の上を大きく回って、ファイナルに入った。
    「大丈夫、この機体、丈夫だから!」
    「えー」
     暗やみの中に吸い込まれるように、ライトで浮び上がったランウェイに着陸
    した。引き起こし、接地。(うまい、ハナ)
     曳航機は先に降りていた。

    リートン着陸
     20時52分35秒 LEETON(リートン)着陸。おじいさんの家から飛行時間
    26分。
     ゴールまであと、160Km地点
     わざと、おおきな声で着陸時間をメモしていたのでハナが笑った。(だって、
    私の仕事はこれだけなんだもの)
     ここはナランドラの郊外で、リートンという町に有るグライダークラブだと
    いう。

    クラブ員の歓迎
     珍しく遅くまで残っていたクラブ員の方達が、日本車でランウェイを照らし
    てくれていたのだった。予期せぬ訪問者は、心暖かい歓迎を受けた。
     機体を取りに来てくれるなり「わーい、うちに新しいスーパーグライダーが
    増えた」どこの国でも考えることは同じ。
     ハナが「じゃあ今夜は、私に一晩中ビールを御馳走してくれるのね」

     私は、曳航機だけ帰ってしまうのかと思い、思わずエディに日本語で叫んで
    いた。
    「私も帰りたい!」
    が、なんとエディもハンガーに入って来た。
     ハナがよしよしという感じで慰めてくれる。(あらら何だ、曳航機も一緒に
    泊まるのか)

     クラブハウスに入ると、ソファがあって、キッチンやバーも付いていた。
     回りの黒板や壁には、この滑空場のトラフィックや、トレーニングのシラバ
    ス、曳航料、毎年の大会の優勝者名などが張られていた。
 
  リートンに着陸、クラブ員の方と
     カウンターで、何か記念に買えるものはないかなと思って見ていたが何もな
    い。
     おそるおそる壁の額に入っていたワッペンを指さすと、わざわざ額をはがし
    て、取り出してくれて恐縮した。

     ビールを一本ずつもらい、ハナと私はなぜかやけにハイで、はしゃいでいた。
    「ねえ、お金もってない?明日返すから」
    (もう、ハナ、お金も持って来なかったの?)何に使うのかわからなかったの
    で、小銭入れの中から20ドル札を貸した。

     クラブ員の方がエディと、冷凍庫からお肉を出して焼いてくれている。

     ハナがバーの壁に掛ったカレンダーの写真を指さした。
    「これ誰だかわかる?」
    「さあー」
    “インゴのお尻”だそうだ。
     よく見ると、いつ頃の写真か機体をのぞき込むインゴの、今よりはちょっと
    小さめのおしりと、日本人らしい人が写っていた。

     ハナはさっきの20ドルで、コーラを買って飲んでいる。二人は靴下を脱い
    で寛いだ。

     エディが、にんじんサラダを作っているのをぼうっと見ていたら夕食になっ
    た。
     ビールとステーキ、サラダ、食パンとバターとマヨネーズが、テーブルに並
    んでいた。
     疲れていたせいかあまり食欲がなかったが、三人でテーブルを囲んだ。
 
  リートンでの夕食
     夕食が終わって、25にはタイダウンキットがなかったので、杭とロープを
    借りて繋留した。

     しばらくテレビを見ていた。ハナはまだオレンジのつなぎのままで、タオル
    を持って外から入って来た。
    「はからずも(と言ったかわからないが)これが役立っちゃった」
 
     機体の中でオレンジジュースを巻いていたタオルで、顔でも洗って来たのか
    もしれない。
     後でわかったが、ハナはいつもビキニの上に、つなぎを着こんで飛んでいる。

     歯をみがきたかったが、ハブラシがない。しかたなく気やすめに、人差し指
    の腹で歯をこすって、ぶくぶくうがいをしておいた。

     しかしハブラシがないのも困るけれど、タオルどころか、洗顔石鹸も、化粧
    水も、明日の日焼け止めも、ファンデーションもない。
     日本に帰るやいなや仕事が始まる。きものを着て、装道きもの学院の教壇に
    立たなければならない私は、日に焼けたくない。
     きものに日焼けは似合わない。お願いだから鼻の頭だけは、焼けないで。

     そういえば、いつも手袋もしていたし、長袖だったので、みんなに「どうし
    て?」とよく聞かれた。これも当然、日に焼けないように、荒れないように用
    心の為だった。
     時には、顔にバンダナで覆面をした。(どう見ても、空賊。覆面パイロット
    と言う人もいる)

    明日は帰れるの?
     それはそうと、明日は帰れるのだろうか。
    「明日は何時に帰れるの?」
    「天気次第」
     前線が、近づいている。天気予報は私を不安にしていた。私には日本に帰ら
    なければならない日が、3日後に迫っていたから。
     実は、タコムオールから160Kmも離れた所で帰れなくなって、ショック
    を受けていた。言葉も通じない、異国の地だと思うと心細くなった。

     だってこの距離は日本的に言うと、東京から京都に飛んで行って、帰りに琵
    琶湖のブルーサーマルにはまって、やっとのことで静岡県までたどり着く。
     しかし、ついに不時着、磐田のおじいさんに助けられ離陸、しかし夜になっ
    てしまい、静岡市の夜景を見ながら、藤枝に降りて泊まった事になる。

     エディに、タコムオールに電話できるか聞くと、親切にもダイヤルしてくれ
    たので、主人と話すことができて安心した。

     「僕もアウトランディングして、今帰ってきたところなんだ。そっちは大丈
    夫・・?」
     オーストラリアではつい最近、新婚旅行に来た日本人の奥さんが、自ら失踪
    した事件があったばかりで、このニュースはみんなが知っていた。夫は私をジ
    ョークのタネにしていたらしい。「うちの妻が帰ってこなくなって、お願いだ
    から探さないでほしい、と言う電話が掛かって来た」と。

    寝ることに
     私が眠そうな顔をしていたので、ハナとエディが寝る準備を始めた。クラブ
    の方に借りた寝袋と毛布、機体に積んでいたムートンで、3人で寝場所を作っ
    た。
     私はソファに、2人は床にクッションを敷いて。

     窓際に寝た私は、夜中に雷の音と光で目が覚めた。風が強く、ドアがバタン
    バタン鳴っている。
     (明日、帰れるんだろうか?)そんなことを思っているうちに、そのまま寝
    てしまった。

    次の朝
     1月3日。朝起きるとうれしいことに、雨が止んでいる。
     顔だけ洗って洗面所から帰ってくると、二人が大笑いしている。
     見ると、エディの使っていたクッションが破れたらしく、白いパンヤが当た
     り一面散らばっていた。ほうきを探して片付けを手伝った。

     お湯を沸かし、インスタントコーヒーだけ飲んで、外に出た。

     ASH−25は夕べの雨で、びしょびしょになっていた。
 
  泊まったリートンの朝
          バケツとセーム皮でウエスアップ。
     回りにはブラニクなどの機体が数機、野外繋留してあった。

     エディがそこにあったトラクターにエンジンを掛け、三人で機体をランウェ
    イエンドまで運んだ。
     またトラクターだというのが、私には、おかしかった。

     荷物を整えて、私が先に乗り込んだ。ハナが私の写真を撮ってる。
 
  リートンからの離陸
     朝早いのにリートンのクラブの方が、見送りに来てくれた。
     しきりに写真を撮ってくれてはずかしい。ハナは異国から舞い降りてきた、
    ハンナライチェの様だ。
    「じゃあ、有難う。これからチェコに帰るから」
     そう言って、ハナがキャノピーを閉めた。

    「やったーこれで帰れる」
     7時47分。 クラブ員二人に見送られて、離陸。上空で2、3回翼を振っ
    て別れた。雨あがりの早朝で上空は静穏。ぴくりともしなかった。
 
  リートン滑空場、さようなら
     約160Kmの帰り道は曳航機のベランカに引かれて、順調に進んだ。結構
    追い風が強く、早く進む。(ああ、やっとレイクユラナまで、帰って来た。あ
    と80Km)

     ハナはエディとしきりに無線で話していたかと思うと、ぶつぶつ言いながら、
    レリーズを引いた。

     曳航機はどんどん遠ざかる。(えっ。あと70Kmもあるのに。こんなプラ
    ス一つない空で。また降りるの?)前々日に、必死の思いで50Kmトライの
    目的地、JERILDERIE(ジェレルドリィ)にたどり着いた私としては、一瞬嫌な
    予感が頭をよぎった。

     しかしすぐ、25なら十分帰れる距離だと納得した。(エディが早く帰りた
    かったんだろうか)
    「あれがジェレルドリィ?」
    「そう」

     やった。あと、50Km。タコムオールに向かってまっすぐ帰投。
 
  タコムオールに向かって
    「操縦してみる」と聞いてくれたのに、なんとなく怖かったのでやめておいた。
    今から思うと、惜しいことをした。

     どんよりした空の上で、みんなが外に出て、待っていてくれることを期待し
    ていた。
     タコムオールのソアリングセンターの真上に着いた。ハンガーの上でぐるぐ
    る回っていたが、誰もいない。天気も悪いし、まあ仕方ないか。
     高度200mで場周に入り、着陸。9時5分(リートンから1時間18分)
     スタッフがトラックで迎えに来てくれて、荷台に乗ってハンガーに戻った。
    長かった2日間が終わった。
 
  タコムオールに帰ってきてハナと
    2日間を振り返って
     かくして、ASH−25は、愛すべき機体となった。私のしたことは、着陸
    前のギアダウンを、目で確認しただけだったのだが。
     残念ながら世界記録の夢は消えた。自分では何もしてないのに、あと二つ 
    サーマルがあったら帰ってこられたのにと、思うこともある。

     この思いもがけないエキサイティングな二日間は、深い感動を覚えた。当分
    思い出しては、にこにこしていた。
     たとえいやな事があったとしても、乗り越えて行けそうな気がした。
     こんなに長くグライダーに乗せてもらった日本女性はいないかも、なんて、
    たわいもないことを思っただけで楽しかった。

     よく、人の書いた本を読んでも経験にはならないと言われる。グライダーも
    人の後ろに乗っても、うまくはならないだろう。でもクロスカントリーの世界
    をかいまみせてくれたハナには感謝している。

     私の、グライダーへの絶えることのない努力は、これからまだまだ続くかも
    しれない。が、その1ページとなったことは間違いない。最後まであきらめては
    いけないことを教わったし、ハナなんか、あんな霞のような雲で、100Km
    以上も飛んだんだもの、私も頑張ろう。

     それから、今度クロスカントリーに行く時、持っていく物を決めた。
     辞書、お金、不時着用イエローカード、おみやげのミニ凧、英語の名刺、
    タオル、日焼け止め、観光用カメラ、予備のフィルム、化粧品、麦茶、おにぎり、
    バナナ、リンゴ、ドライフルーツ、カロリーメイト、アメと、ハ・ブ・ラ・シ。
    などなど。

 
    グライダーから見た景色と一緒
     25で、ハナと飛んでから二日後、無事日本に帰国。
     途中メルボルンからシドニーへ向かうカンタスの中から、グライダーから見
    た景色(レイクユラナなどの)が、窓からそのまま見えて感激した。(ああ、
    私の飛んだ所)窓にかじり付いて、見つめていた。
 

    世界選手権
     ASH−25で一緒に飛んでから数ヶ月が流れ、ハナはスウェーデン、ボー
    ランゲでの世界選手権に出場していた。
 
  世界選手権に出場中のハナ
     私は日本チームのクルーで行く友達に、ハナに会ったら渡して欲しいと手紙
    を託した。
     携帯用の洗顔セットを入れて。

     『競技では、不時着してこれらを使わなくて済みますように。(いやみだっ
    たかしら…)頑張ってください。日本で応援しています。
     ハナはいつも日焼け止めも塗ってませんが、そろそろあまり日に焼やけない
    ほうがいいんじゃないかしら。それから、今度ハナと飛ぶ時は、ハブラシを持
    って行きます』と。

     それから、ずっとハナ親子との交流は、続いている。

    ねー歯ブラシ持った
     あれから、4年が過ぎた。

     今度はニンバス4DMで、またハナの後ろに乗ることになった。その準備を
    しながら、ハナが言った。
    「私ハブラシ、持ってかないわよ」
    それを聞いて、私は大笑いしながら答えた。
    「私も」
      だって、今度は帰って来るもんね!ハナ

    追伸
     ちなみにもしあなたが女性で、タコムオールを訪れて、ラダさんに声を掛け
    られたら、ハナの後ろに乗ってあげてください。
     お願いします。

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