カナディアンロッキーの麓にて
福島 前
広い空港の中をヴィクトリア行きのプロペラ機に乗り換え
なんとか間に合い直ぐに離陸。しかしわずか15分ほど
ダニエルとは以前勤めていた会社で知り合って以来10年以上親しく付き合っている。
この旅には「子供達に広く世界を知ってもらう」という大きな目的があった。
ヴィクトリアのシンボルであるホテルエンプレスや議事堂
スコットランドから来たバグパイプの演奏には30分以上
23日、バンクーバーから東へ150kmにあるホープという町を目指す。
ヴィクトリアからバンクーバーまではフェリーで3時間の船旅。
子供達が信じられないという目で見ていると、彼らは面白がって
ベーコンにまでメープルシロップをかけるか〜! それもあんなに大量に。ウエッ!
妻は旅の疲れでほとんど寝ていた。
1時間ぐらい平地を走っていると、だんだんと
彼の指さす方向を見ると、なんと平らな地面か
それこそがカナディアンロッキーの始まりだった。
その日は私達だけではなく15人くらい搭乗者が来ていた。
ウインチは無く飛行機曳航のみ。
一旦飛び上がると地上から降りてこいと言われない限り、
待つこと1時間で私の番になり、指定されたのは
私の前の人達はすべて後席に乗っていた。
26年前の若かりし私の写真をじ〜と見た後、これほんとうにお前か?と言いたげに
10年ぶりの飛行となると緊張する。
その後しばらくは操縦桿をロックされてしまう。
自転車と同じで、一度習得すると10年ぶりでもグライダーの操縦は出来るものだ。
2000フィートでの離脱は教官が行う。
前の山の方に上昇気流があると教官が言うので向かう。
フライト時間はたったの15分。何とも期待はずれのフライトに欲求不満になる。
次は長男の番、妻と次男も呼んで教官からの注意事項を伝える。
それを下から見ていて後悔してしまった。
どこに上昇気流があるかも分からない初めて
45分が経過した時点で「降りなさい」との指示
止まった機体に走り寄ると長男が一言、
次男も同じく1時間近いフライトを終え降りて来た。彼も一言、
妻は30分で降りてきた。気分が悪くなったのと、暑くてたまらないので教官の肩を叩いたとのこと。
子供だな〜と思いつつも、
搭乗料は1人1時間で50カナダドル。
その日の夜はバンクーバー郊外にあるダニエルの弟の家に泊めてもらう。
豊かさとは何かを思い知らされた夜だった。
24日はフェリーに乗ってヴィクトリアへ戻り、全員休息。
25日は Victoria Clippers という高速フェリーに乗りシアトルを目指す。
係官が突然 『コンニチワ!』 と日本語で話しかけてきた。
子供達が驚きながらも 『こんにちわ!』 と返事をする。
係官今度は 『ドコカラキマシタカ?』 と聞く。
間髪をいれずに次男が 『千葉!』 と大きな声で答える。
それを聞いて私と妻は苦笑い。係官は思いもよらぬ返事に『チバ???』とパニック状態。
すると、 『バカだな〜、こういう時はジャパンと答えるんだよ!』 と長男が次男を諭す。
それを聞いて係官は 『Oh! Japan!』 と笑いながら通って良いと手で示してくれた。
4年生になっても状況に応じた対応が出来無いんだと驚くとともに、まだまだ子供なんだと
税関を抜けると予約していたホテルへと歩いて行きチェックイン。
球場に着くとインターネットで予約した予約券
正面入り口の右側にその窓口を見つけ、パス
回転式のカウンターを通り抜けて一塁側の3
席に着くと周りはすべてアメリカ人。前の列に
日本人の我々が気になるのか、チラッ、チラッと振り返える。
彼女達のボリュームたるや妻のそれとは比べものにならない。
対戦相手はカンサスシティロイヤルズ。
目の前の現実が、自分の願望が具現化された
結局イチローはヒットを1本を打ったが、どちらの
試合の結果なんかより球場全体の雰囲気が強く
応援団なる連中がトランペットや太鼓を鳴らして
球場の雰囲気の差が日米の文化の差だと強く感じたのは私だけだろうか。
アメリカは個人の自由と権利が尊重される社会だ。
他人とは違う自分を表現しようとする彼らにとって、大勢で一緒になって
個人個人が自分のスタイルで応援を楽しむ。
アメリカ人と深く付き合うようになると、彼らは決まって stable という言葉を口にする。
アメリカにはアメリカンドリームがあると日本のマスコミは盛んに言う。
アメリカンドリームを追い求めている人は1つの会社に1、2年しかいない。
1つの会社で真面目に頑張っている者にとってはたまったものではない。
新しい会社に入社したとしても、採用してくれたのは人事ではなく
日本人は本音と建て前を使い分けるとよく言われる。
ボスの前では従順。決してボスの顔をつぶすような行為はしない。
初めてアメリカ人の口からこのような愚痴を聞いた時、人間の普遍性を強く感じた。
日本人も、アメリカンドリームを追い求めているアメリカ人も、そうでないアメリカ人も、
26日はホテルで朝食を済ませた後、再び Victoria Clippers でヴィクトリアへ戻る。
27日はビクトリア空港からバンクバー空港へ行き、成田行きのJALに乗り換え無事に成田着。
帰りの飛行機の中で 『日本とカナダやアメリカの違いは何?』 と次男に聞いた。
もう少し文化的な違いを指摘してくれるのかと期待していた私にとって、
あれから4年、今では長男は高校生、次男は中学生。
今度はカナディアンロッキーをもっと奥に入った『コロンビアバレー』という所に行きたい。
搭乗記というよりも家族旅行記になってしまいました。
2001年7月21日、我が家の4人(私、妻、長男、次男)
を乗せたジャンボ機は無事バンクーバー空港に到着した。
る為、子供の手を引きながらローカル便エリアへと急ぐ。
でブリティッシュコロンビア州の州都ヴィクトリアに到着。
冬は暖かで、『リタイア後に住みたい町』 としてカナダで
最も人気のある美しく静かな町だ。
空港には親友のダニエルと彼の家族が迎えに来ていた。
彼の車に乗り、1週間近く滞在する彼の家へと向う。
千葉の片田舎しか知らない子供達をカナダやアメリカへ連れて行き、
「自分達が住んでいる世界とは違う世界がある」
ということを出来るだけ早い時期に体験させたかったのである。
22日、午前中は旅の疲れを取るように昼近くまで寝て、
午後からはイギリスの植民地時代の面影が残る町を隅々
まで歩き廻った。
前には、世界中から大道芸人が集まりその技を争い合っ
ていた。
も聞き入ってしまった。
昔から大好きで、何とも言えない心に響く音色である。
朝食を取りながらのんびりと景色を楽しむ。
目の前のテーブルにカナダ人の若者数人がワイワイ言いながら座り、
ホットケーキとベーコンにメイプルシロップをこれでもかこれでもかと
かけて美味そうに食べ始めた。
『This is Canadian breakfast! Yummy!』
と笑いながら食べていた。
3時間後フェリーは無事バンクーバーの桟橋に
到着。車はハイウエイを一路ホープへと向う。
しかし子供達は元気一杯。
初めて見るカナダの景色に釘付け。
山が増え、突然次男が
『お父さん! 山が地面から生えているよ!』
と意味不明なことを言う。
ら60度の角度で大きな山がそびえている。
そんな景色は日本では見たことがない。
ハンバーガーとジュースで簡単に昼食を済ませた後、ホープ空港へと向かう。
ホープ空港は全面芝生で、そのソフトな歩き心地の良さはなんとも言えない。
赤城下ろしで砂埃が舞う妻沼も良いが、緑豊かな芝生だとリッチな気分になるのはなぜだろう。
日本を出る前に、4人分の搭乗を Vancouver Soaring Association に申し込んでいたので、
『Welcome to VSA, Mr. Fukushima!』 と暖かく迎えてくれた。
VSAはホープ空港に8機の機体を保有している。
あの懐かしいブラニクL-13とも久々にご対面。
空を見上げると5、6機がソアリングを楽しんでいた。
何時間でも飛べるという状況。
Grob 103 Acro という流線型の美しい機体。
『日本のライセンスを持っているから前席で操縦させて』と教官にライセンスを見せる。
笑いながら
『前回乗ったのはいつ?』 と教官。
『10年前』 と私。
またニヤッと笑いながら前席に乗れと言う。
やったぜ!と思いつつ縛帯を締め準備をしていると、
『自由に操縦していいよ』 と教官。
キャノピーが閉じられる。
翼端が持ち上げられ機体が水平になる。
曳航機が前進しロープが張る。
機体がするすると前進。
やはり操縦感覚は失われていた。
離陸後に機体が左右に大きく振られる。
しかし教官が無事に修正。
500フィート近くでやっと自由になる。
曳航機にぴたっとつけて徐々に高度を上げていく。
何か指示があるかと思いつつ直進するが何も無い。
それではと右旋回、左旋回と旋回を繰り返す。がどこにもプラスは無い。
下から見ていた限りでは全面プラスのはず。
徐々に高度が無くなってきた。当然焦る。
しかしその途中はマイナスばかり。
高度が低くなった時点で 『帰ろう!』 と言われてお終い。
場周飛行に入るとまたまた操縦桿はロックされてしまった。
その注意事項とは、
1.操縦桿にはさわらない。
2.気分が悪くなって降りたいと思ったら教官の肩をトントンと叩く
といたって簡単なもの。
長男を乗せた機体は他の機体が旋回している
上昇気流に入り、どの機体か区別がつかなく
なる。しばらくすると視界から完全に消えた。
ある程度の高度までは教官に操縦してもらい、
そこから操縦させてもらえば良かったと。
の場所で、10年ぶりに操縦して良い結果が得
られるはずもないのだから.....
があり、長男が乗る機体が降りてきた。
『お父さん、山を上から見たのは初めてだよ! すごい景色だね!』
いつもは冷静な彼だが、さすがにちょっと興奮していた。
『パイロットのおじさんが話しかけてきたけど、意味が分からなかったから Yeah! と言っといたよ』
物事に動じないこの子らしいコメントに納得。
妻が降りた瞬間、教官が彼女に抱きついて
ほっぺにキスをした。
それをじ〜っと見ていた次男が一言、
『お父さん、あの人お母さんにキスしてたけど
いいの?』
『お母さんが好きだからキスしたんじゃないの!
カナダやアメリカではキスは挨拶なんだ』
と教える。どこまで理解しているのやら....
当時のレイトで¥3,500。
もう一回飛びたかったが結局飛べなかった。
なんとも不完全燃焼な思いを抱きつつバンクーバーを目指して車を走らせた。
庭先には森が広がり、野生のブラックベリーが食べ放題。
満天の星空を眺めつつ、全員水着姿でデッキにあるジャグジーバスに入りながら
楽しい時間を過ごす。
今回は我が家の4人だけの旅。
シアトルには昼過ぎに着き、入国手続きのため税関へと進む。
安心させられた、一生忘れることのない光景であった。
荷物を部屋に置いてシアトル観光を楽しむ。
ダウンタウンのスポーツ用品店はイチローグッズで一杯。彼の人気を肌で感じる。
夕方5時過ぎ、観光を終えてセイフコフィールド
へと向かう人並みに加わる。
を入場券に交換する場所を探す。
ポートで身分を証明して入場券を手に入れる。
階席へと向かう。
は女子高校生が10人ほど陣取っている。
なんで?(嬉しいけど)
振り返る度に胸の谷間が気になりどうしても目はそちらへ。
私がオッパイ星人だと熟知している妻は 『親父!嬉しい?』 とジャブを一発。
イチローが打席に立つ度に大きなイチローコール。
20年ほど前に大リーグ中継を見始めたが、日本人が大リーグのフィールドに
立ち、アメリカ人から大きな声援を受けるなんて当時は夢にも思わなかった。
イチローコールの大声援の中に身を置いている
と、20年前の自分がタイムマシンに乗って未来
にやって来ているような錯覚に陥ってしまった。
虚の世界のように思えたのはなぜなんだろう。
チームが勝ったのかは今では全く記憶にはない。
印象に残っている。
ワイワイ騒ぐ日本の球場では決して味わうことが
出来ない、すばらしい雰囲気であった。
その裏には自己責任という厳しい現実があるのだが....
統制された動きをする日本の応援団なんて発想は有り得ない。
それがアメリカの球場の雰囲気を醸し出しているのだと思う。
彼らにとってこの言葉は人生の最終ゴールのようにも思えるほどだ。
しかしすべてのアメリカ人がアメリカンドリームを追い求めているのでない。
ほとんどの人はささやかな幸せを求めているのである。
しかしながら、ささやかな幸せを求めている人にも競争を強いているのがアメリカの社会である。
次から次えと会社を変え、キャリアを積んでいくのである。
ある日突然新しいボスがやって来て、今までの仕事のやり方を否定し変えるのである。
新しいボスのやり方に耐えられねば会社を辞めるしかない。
現場のマネージャーやゼネラルマネージャー(GM)である。
マネージャーやGMが新しいボスになる。
彼らには、採用した人間が気に入らなければ自由に解雇する権限が与えられている。
アメリカの会社の恐ろしいところは実はここにある。
冗談じゃ無い!アメリカ人も日本人以上に本音と建て前を上手に使い分けている。
(それをすると『クビだ!』 と言われかねない)
しかし酒が入った席などでは
『奴とは合わないから会社を辞めたい』
なんて愚痴を言うのである。
アメリカ人も日本人も本質的には何も変らない。
ただ生きている社会の違いで、その振る舞いが違って見えるだけだと。
最終的に追い求めているものは stable life なのである。 間違いない!
その答えは、
『2つあって
1つめはシャワーの穴の数。
家のシャワーには穴がたくさんあるのに、ダニエルの家のシャワーにも
ホテルのシャワーにも穴が4つしかなかった。
2つめは、シアトルにはデブが一杯いた。
でも日本のデブとは違って、お尻だけがデブな人が多かった。』
彼の答えには笑うしかなかった。
しかし、シャワーの穴の数の違いに気付くなんて、子供だからこそと変に感心させられた。
あと数年で次男も大学生。そうなれば手もかからなくなり、夫婦だけの時間を持つことが出来る。
その時はまたカナダへ行こうと決めている。
そこにもソアリングクラブがあり、今度は本気で飛びたい。
日本でたくさん飛んで、単座機を自由に操縦出来るようになってから行くつもりだ。
本当の意味でのソアリングを楽しみたい。
みなさん素晴らしい搭乗記を書いてくれると思うので、このような旅行記もあって良いのでは......