私とヘリ

                                                                                              By Hideki Kobayashi

    工科短大10期の小林秀樹です。

    私がヘリコプターに興味を持ち始めたのは、いつだったのだろう。
    いろいろと、思い返してみると幾つか節目はあったと思うが、多分、
      妻沼滑空場の宿舎改装のお披露目会でヘリに体験搭乗した時がきっかけ
      ではないかと思っている。

    朝日新聞社のヘリが取材に来ていて、抽選で何人かが搭乗できることになった。
    運良く当たり、しかも前席の左に座ることに。
      離陸の時は、前に傾いて進むので、「落ちそう・・・」なんて本当に思った。

    実は、ヘリの第一印象は結構違和感が多かったのかもしれない。
    そのうち、機長より、「操縦してみますか」などと、とんでもない?! 
      いやいや願ってもないお言葉。

    操縦桿を握って「you have control」 なんて言われて、ドキドキ。
    案の定、グライダーとは別物でたいそう敏感な操縦桿に四苦八苦。
    しばらく機をあばれさせることになった。
    今思えば、後ろに乗っている搭乗者はヒヤヒヤもんだったろう。

    そのうち何となく感覚が分かってきて、回りを見渡す余裕が出てきたところで、
    妻沼第二ランウェイの場周に入ってほしいと右席方よりリクエストが。

    「え、おれがやんの?」と、ちょっと複雑な気持ちだった。 

    上昇降下は、機長がやるからと言われ、ドキドキしながら操縦桿をゆっくり傾ける。
    そしてオンファイナル。
      速度をどこどこまで落としてと言われて、降りる予定の場所を十分に通り過ぎまして、

    「ああっ、速度が落ちる・・失速する?!・・
        何、何なんだ、この変な感覚は? 
     あれ? 機体が回っていくぞー。
        そういえばペダルはそれまで全く使ってなかった。
     どうなんのこれー」

    という状態。

    今考えればホバーリングなのだが、全く妙な感覚だった。
    もちろんホバーなんてできるはずもなし。
      やっぱり、暴れだし、あーなんだーこりゃーと思っていると、

    「I have control」とお救いの言葉が。

    機長によって無事着陸。

    すごい、すごい経験をしたぞとしばらく興奮状態だった。

    それからというものは、日増しにヘリが気になり出し、飛んでいる機体を見上げては、
    あれは350だな、ドーファンだなどと、種類が少しずつ分かるようになっていった。

    数少ないヘリの本も買いあさるようになっていき、自分でも免許が取れるのではないか
    と思うようになるまで、そう長くはかからなかった。

    でも、今の職業をやめて、本当に就職できるのかと随分悩む日々が続くこととなった。
    日本では、パイロットとして、ほとんど就職できないことが少しずつ分かってきたから
    であった。

    それでも、何とかなるのではないかと目先を海外に向けてみると、決して不可能では
    ない事も分かってきた。

    この時、もう一つ大切なことを見落としていたのだが、全く気がつかず、誰から知ら
      されることも無く、会社を辞めて、意気揚々と渡航。

    アメリカに渡って、周りの仲間が勉強もそっちのけで、何やらビザの話で盛り上がっていた。

    グリーンカード だ。

    すぐ申し込めとばかりに、当たる確立ン百分の一なのに、お手製の申請書を作成して紙(神)頼み。
    後から、免許よりも重要だということを知ることになるのだが、そのときはあまり気に
    留めていなかった。

    カリフォルニアで自家用、事業用。
        教証は、100ドルで友人から買ったポンコツ車でテキサスまで大移動し取得。
カリフォルニアからテキサスに行く途中に見つけた戦車の墓場と100ドルのポンコツ車

テキサス ダンバリーにある学校でのひとこま。何と日本のとある学校からの生徒が来ていた。右端の方。
この日に初ソロで、記念撮影。サングラスの大男が教官のゲイリー。その左は、訓練中の陽気な警察官グレッグ

Long Beach から350km位の距離にある某日本人学校にヘリで遊 びに行った時のもの。
    またそのポンコツ車でカリフォルニアに戻り、よし、これから就職探しだという時に、
    今までに無い壁にブチ当たった。
    労働ビザを出す会社が、どんなに探しても見つからなかったのだ。
    ここにきてグリーンカードの意味がようやく分かった。

    ビザに強い弁護士のところに何度か相談しに行ったが、答えは「NO」。
    アメリカ人でも、CFIを取ってから就職できずにいるパイロットは大勢いる。
    ましてや、そのアメリカ人を抑えて、あえて日本人を雇う会社などそうあるわけがない。
    日本人の生徒が来ている学校は可能性が無いわけではないが、そもそも数が少なくて
    誰かが辞めたら入れるかな、というのが現実のところ。

    いっそうの事、別の職業ならいけるのではないか、と前職の機械設計で職探しを始め、
    また数ヶ月が経過。いい加減資金も底をついてきて、カードが使用出来なくなる事態
    となってしまった。
    もう潮時だな、と日本に帰る決心をせざるを得なかった。

    渡航してから、1年半。結局、最終目標は達成できなかったが、満足感はあった。
    何より、貴重な体験ができたこと。
    あのまま会社にいたら決して味わえなかった。
    アメリカの国土の広さが実感できたこと。
    銃社会で危険だ、とはいえめちゃくちゃ気さくで暖かい人に接することができた。
    個人主義がどこでも感じられるし、自由さがある。
    反面、自己責任がしっかりと皆に身についていること。

    それは、空の世界でもほぼ同じ。
    帰国してから、あの911事件があり、アメリカの空の事情は少し変わったかもしれないけど。

    対して、日本はというと、飛びにくいの一言。
    楽しさが膨らんでいかない感じを抱いてしまう。

    例えば、

    「東京ヘリポートって、空港レーダーがないんだって。
     えっ、エアライン機が降りる空港でもそうなの・・・絶句」

    「申請、許可、書類の渦。
     場外・・・空港スポットも事前申請許可・・・またまた絶句」

    国土の狭さからきているのかな、と考えると妙に納得。

    日本の航空局は大体アメリカの真似しているのだから、いっそうのこと全て同じに
    してくれればいいのにと思う。
    その方が、スムーズで、時代に乗り遅れないで済むと思うのは私だけ? 
    自動車業界は諸外国と同等以上だけど航空業界は明らかに遅れている。
    日本は航空後進国だ。(間違いない!) 

    ともあれ、自分自身では新たな活動の場を見出している。自作の回転翼機である。
    日本では超マイナーではあるが、きちんと飛行できる代物である。

    いろんな意味でやばい世界にまた足を突っ込んでしまったと、反省しているが、
    これが意外と楽しい。

    海外のキットを買う人もいるが、半数は、完全に自作である。
    購入したものはローターとエンジンくらいで、ほとんど自分で機械加工したものを
    使用している。

    こんな日本人がいるなんて、まだまだ日本も捨てたものじゃないと思う。
    勿論、私は初心者で何も持っていないのだが。とにかくいろいろと学ぶところが多い。

    自分が操縦するチャンスは少ないが、そんなことはどうでも良くなってしまう。
    法的な問題もあって、飛行を思いっきり楽しめる環境はまだ日本には無い。
    たぶん当面無理ではと思っている。

    でもいつの日か、アメリカのように自由に飛べる日が来てほしいと願っている。
    そう思いながら、細々とヘリを楽しんでいる今日この頃なのである。

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